相談事例

家族のライフスタイルに合わせて、5つの相談事例を紹介します。
なお、ここにあげるものは、相談に来られた方のプライバシーの保護のため、いくつもの類似の事例をもとに再構成したものです。

■相談事例1 はじめの一歩  ―見つけた新婚生活の手がかり―
■相談事例2 しっかり者の長男が嘘つき?  ―裕太のSOS―
■相談事例3 私が本当に大切にするものは・・・  ―老年期のこれからの人生―
■相談事例4 誰かにわかって欲しい  ―相談室に電話するまでの不安と葛藤―
■相談事例5 17歳の決断  ―不登校男子高校生の6ヶ月―

私は、彼から一緒にカウンセリングを受けたいから出てきてほしいという電話をもらって、家族カウンセリングを行なっている相談室に行きました。私が出産のために実家に帰ってから、もう半年になろうとしています。彼は早く子どもと一緒に3人で生活したいとこれまで何度も催促してきていましたが、私はいまひとつ彼との結婚生活に踏み切れないでいたので、これからの生活を考えるために、カウンセリングを受けてみてもいいかなと思ったのです。
去年、私たち二人は高校の同窓会で久しぶりに再会したのをきっかけに交際するようになり、まもなく妊娠したことがわかって入籍しました。2人でマンションを借りて生活を始めてみると、どうでしょう、服は脱ぎっぱなし、新聞は読んだまま開きっぱなし、食器は食べっぱなしといった調子で、躾の厳しい家庭に育った私には驚きの連続でした。食事も私は洋食党で薄味が好みですが、彼は和食系で味付けは濃い目が好きで、私の作った料理に何でもしょう油をかけて食べるので、せっかくの料理が台無しになってがっかりしたものです。
出産後一度子どもを抱いて彼のマンションに行きましたが、私が部屋の片づけをしているとき赤ちゃんが泣いても抱いてくれなかったし、おむつも取り替えてくれませんでした。
私は今実家で子育てに専念していますが、子どものためには父親と母親が一緒に暮らすのが良いということは分かってますし、彼も同じように考えているからカウンセリングに誘ったのだと思います。でも一緒に生活を始めたら、お互いの生活感覚が違う中で家事と育児を一人でこなしていけるかどうか自信がありませんでした。
私のそんな不安な気持ちをカウンセラーに話していたら、彼が「赤ん坊が泣いたときにどうして泣いているのか分からないし、抱いたら壊れそうで・・・」と言ったのです。私はそれを聞いて「あーそんなことが分からなかったのか。こうやって赤ちゃんを抱けばいいのよと教えてあげればいいんだ」」と気がつきました。それに彼の実家では母親が家のことを全部やっていたので、家事は当然私がするものと思っていたそうです。私が「手伝って欲しいときは頼んでもいい?」と聞くと、「これからは何でも言って欲しいし、自分も分からないときは君に聞くから」と言ってくれました。
毎日の暮らしの中で些細なことでもちょっと言葉を交わせば、お互いの考えの行き違いをなくしていけるのだ、何でこんな簡単なことが分からなかったのかと思ったら、肩の力がスーッと軽くなっていくのを感じました。
カウンセラーは、指示したりお説教したりはせず、そっと肯いていて、ところどころ私たちの話を整理するように言葉をかけてくれただけなのです。でも私は夫婦として一緒に生活をしていく手がかりを見つけられたように思いました。ただ一緒に暮らすということは、子どもを入れた三人の生活が始まるわけです。これまで彼は子どもと数回しか会っていません。父親の役をちゃんと果たしてくれるかどうか心配です。明日から彼のマンションに戻る決心はまだついていませんが、私は相談に来る前とはちょっと違う自分がいるように感じられて、もう少しカウンセリングを続けてみようと思いました。今度は子どもも連れて行くつもりです。

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私は営業畑でやってきた36歳のサラリーマンです。結婚して8年、妻と二人の息子がいます。この4月に長男裕太は小学校に、次男は幼稚園に入りました。そろそろ家も購入したいと夫婦で話し合い、妻は近くの薬店にパートで勤め始めました。次男はマイペースで手がかかるけれど、裕太は積極的で責任感もあり、担任も頼りにしていると聞いていました。
ところが6月初め、妻が担任に呼ばれ暗い顔で帰ってきました。最近裕太が隣席の子の髪をひっぱったり、ノートに落書きをしたりしているというのです。さらに読書推進の本読み競争では裕太が群を抜いて1位だけれど、実際は読んでいないものも入れているらしいのです。担任に「裕太君の嘘や意地悪は知恵がまわる分扱いにくい。このままでは将来が心配」と言われ、スクールカウンセラーにも「お母様の愛情を求めているのでは」と言われて、妻は仕事を辞めようかと言い出しました。
裕太にきいても、「そんなことしてないもん」の一点張り。そのうちに登校さえ渋りだし、6月末から「おなか痛い」と休みがちになりました。医者に診てもらってもどこも悪くないようです。妻は裕太を一人置いて仕事に出るのは気が気じゃないと言い、二人で登校を促しましたが、かえって全く行かなくなってしまいました。しっかり者の裕太がこんなことになるとは妻も私も全く信じられない思いで、築いてきたものが崩れていくような気がしました。
藁にでもすがりたい気持ちで、スクールカウンセラーがくれたパンフレットを見て私が相談室に電話しました。勧められた通り、妻も裕太も一緒に行きました。2人のカウンセラーは妻の仕事もねぎらい、「裕太君、頑張りすぎて疲れてSOSを出しているのかな。深刻に考え過ぎないで、家族がそれぞれ力を出して乗り切りましょう」と言ってくれました。少しホッとしました。裕太は、私たちをチラチラ覗きに来ながら、一人のカウンセラーと別室で絵を交互に描いたりして遊んでいました。
面接後の日々、「ここは私の頑張り時」と仕事を早く切り上げて、毎日裕太とキャッチボールや散歩をしました。10日ほどした雨の日、「今日は何する?」ときくと、裕太が「すもう!」と飛びついてきて危うく転ぶところでした。「強くなったな。でも、まだまだ負けないぞ!」と投げましたが、また飛びついてくる裕太に嬉しい気持ちが湧いてきました。妻も毎晩裕太好みの本を読んでやっています。夏休みはゆっくりして2学期から登校できればと思っていましたが、相撲の翌日、夏休みの3日前から裕太は登校を始めました。 2週間後の2回目の面接では、「ぜひそのまま続けてください」と言われました。裕太は別室で「今日は動物園つくる!」と私たちなど気にもせずに取り組んでいました。猿、キリン、象など動物を切り抜いて台紙に貼り付け、虹色のアーチをつけて動物園を作ったそうです。その後象をもう1匹、子どもの象を1匹、少しためらってからもう一つ小さい象を貼り付けて、象の家族をつくったとカウンセラーが教えてくれました。私たちは、裕太の動物園を大事に家に持って帰りました。
もう10月、2学期も裕太は元気に登校しています。お兄ちゃんだからと我慢することも多く、小学校に入った緊張も、母親が働き始めた寂しさもあったろう、裕太も大変だったんだなぁと思います。昨夜、妻が「あなた、ありがとう」と言ってくれました。

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私はこの秋、73歳になりました。半年前に、長く患っていた主人が78歳で亡くなりました。気持ちが沈みこんでどうしたらいいのか、わからなくなっています。食欲もなく夜もよく眠れません。
主人は昔かたぎで頑固、でも真面目で家族思いの人でした。子供は3人、それぞれに家庭を持って独立しています。主人は「いざとなったら絶対困らないようにしてあるよ」と口癖のように言っていましたので、その言葉を信じ、毎日一生懸命看病してきました。5年前には、結婚してからずっと同居の姑が93歳で亡くなりました。「よそ様に恥ずかしくないように」が姑の口癖でした。家の中も外もいつもきれいにしておくこと、きちんとした身じまいをすることを常に言い聞かされていました。私は若い頃この姑に仕えて苦労をしました。何事も言うとおりにしないと機嫌が悪いのです。ですから、今までどんなことがあってもいつもニコニコ、ご近所にも気を配って暮らしてきたのです。でも、主人が亡くなったら、急に力が抜けてしまいました。
主人の遺書には、アパートつきの家に建て替えて、その収入で暮らしていくように書かれてありました。「おばあちゃんが亡くなり、お父さんが亡くなり、その上思い出の詰まった家まで失うなんて・・・これがお父さんの思いやり?」。子どもたちは、思い巡らしている私を心配して泊りがけで来て、建て替えをしたらどんなに快適な住いになるか説明してくれます。でも今の私にとっては主人と子どもたちとで過ごしたこの家が大事なのです。この家しか残されていないのです。一人でいるといろいろなことが思い出されてきて、涙ばかりが出てきます。 ところが、救いの主が現れました。大学で心理学を学んでいる孫娘です。「おばあちゃん、一回相談に行ってみたら。私、いいとこ見つけたんだ。インターネットでね。そうやって毎日泣いているのは、病気だよ」といって、家族カウンセリングというのをしている相談室を勧めるのです。最初はそう言われてもいまひとつよく分かりませんし、「よそ様に恥ずかしくないように」という姑の教えもしみこんでいます。どうして他人様に心配事など話せましょうか。それを言っても孫は「そうじゃないんだよ。秘密は守るって書いてあるよ。私がついていくから一回行ってみようよ、おばあちゃんにはまだまだ元気で長生きして欲しいのよ」とひきません。孫と一緒だとなんだか心が安らぐし、かわいい孫がこんなに心配してくれるのだから一度出かけてみようか、と勇気を奮って出かけました。こわごわ相談室に入り、出されたお茶を一口飲むとほっとしました。今までの苦労を少しだけ話しているうちに緊張がほぐれていくのを感じました。カウンセラーの先生はゆっくり話を聞いてくれます。「そうだ、家はなくなってもお父さんが好きで毎日朝に夕に眺めていた植木が残る。この木たちを大切に守って生きていこう」という考えが突然湧いてきました。
帰りに孫と久しぶりにあんみつを食べました。「話してみると楽になるもんだねー」と言うと「言ったとおりでしょう」と孫はにっこり。すごく疲れましたが、しばらく通ってもう少し話を聞いてもらおうかな、と思いました。心が少し上を向いてきました。

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どうしたらいいの?
・・1年前に会社を辞めてから家に閉じこもっている25歳になる長女のことが心配です。私も54歳、更年期なのか最近体が思うようになりません。頼りにしたい夫ですが、娘のことを相談しても「そのうち何とかなるさ」と相手にもしてくれません。でも夫の言葉とは裏腹に娘の具合は悪くなり、私に恨み言を言ったり、ものを投げつけるようになってしまいました。
長女は私の自慢の娘でした。私は実家の母に「自分のことは自分で解決するもの」と叩きこまれて、人に相談することが苦手ですが、娘にだけはなんでも話せました。大学生の長男が中学生の頃イジメを受けた時にも、長く単身赴任を続けている夫の代わりに相談に乗ってくれました。その娘が今こういう状態です。娘のことだけでなく夫のことも気になります。単身赴任中から「もしかしたら浮気をしてるかも?」という疑いを抱いていたのですが、一緒に暮すようになってからは益々信じられなくなりました。確かめる勇気もないし、確かめてどうなるものでもないし、と悶々としています。
夫とは職場結婚です。リーダーシップもある気さくな彼となら、きっと会話のある楽しい家庭がつくれると夢みました。職業婦人だった実家の母とは違い、私は家族が一番と考えて、結婚と同時に退職して専業主婦になりました。企業戦士の夫の分まで、子どものことは勿論、夫の両親の介護も引き受けて、文句一つつけられないように頑張ってきました。それなのに夫の姉から娘のことで責められていても庇ってもくれず、むしろ私のせいだと言わんばかり。もうほんとうにやり切れません。
そうしたある日、本屋で『家族カウンセリングのすすめ』という本に出会いました。心療内科で診てもらうのは何か違うと思っていましたし、何より家族を取戻したかったのです。自分のことは自分で、という母の言葉が浮かんできます。でも、私はいま本当にひとりぼっち。気持ちを抑え切れず、相談室に電話をしてしまいました。
どんなところ? 信用できるのかしら? 夫の秘密のこともあるしどう説明したらいいの? 受話器をとる私の頭の中でいろんな思いが交錯し、心臓はドキドキです。「娘が閉じこもっているんです。どうしたらいいのか・・」と切り出しました。娘は相談に一緒に行ける状態ではないし、夫は頼んでもきてくれるはずがないので、「家族全員揃って行かなくてはいけないのでしょうか?」と聞くと、「とりあえず、一人でいらっしゃいませんか?
ひとりでいらしても家族の相談はできるのですよ。何を悩んでいるのか、どうしていきたいのかを一緒に考えていきましょう。お嬢さんのことでのご相談なので、場合によってはご主人にこちらから声をかけることも頭にいれておきますね」という言葉が返ってきました。それを聞いて体の力がフト緩んだような気がしました。一緒に考えようとしてくれる人がいたのです。本当は夫と一緒に娘のことを相談して、良い夫婦に戻りたかったのかもしれません。自分のことは自分で解決しなくてはいけないと思ってきましたが、人に頼ることがあってもいい、自分の生き方も考え直すことになるかも知れないと思い始めました。これから始まるのです。初めての相談は来週に決まりました。

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ぼくは、高校2年生。両親と大学生の姉と4人で暮らしています。高校に入学してからなぜかわからないけど、なんとなくやる気がなくなり、だんだんと授業をさぼるようになりました。校内でたばこを吸っているところを見つかり、1週間の停学。2年生の1学期は、朝起きるのがつらくて、ほとんど登校しませんでした。
夏休みが明けたある日、母親が知人からカウンセリングルームのパンフレットをもらってきて、「どうしても一緒に行こう」と泣くので、しかたなく父親と3人で相談室に行くことにしました。部屋に入ると母親が座る席を指示し、ぼくらは黙ってそれに従いました。母親はカウンセラーに向かって、いかにぼくが申し分ない子だったか、どうしてこんなことになってしまったのかと一生懸命話しました。父親は、黙って壁のカレンダーを見ているだけでした。ぼくは、母親の声を遠くに感じ、父親の姿はぼんやりと目に入っていました。カウンセラーは、両親と少し話したあと、ぼくのほうを向いて「こんなとこ連れてこられていやだったでしょ。何度も来なくていいようにしよう」と言いました。来る前は付き合うのは1回だけ!て思っていたので、なんとなく拍子抜けした感じでした。
2回目の面接は、予定通りぼくはパスし、両親だけが行きました。別に聞きたかったわけではないけど、父親が相談室での話をしてくれました。母親は、最近ぼくの部屋の壁にいくつか穴が開いていると嘆いていたそうです。父親の話し方が、なんとなく他人事みたいでした。
その後の2回も両親が行きました。母親はあせり、悲しみ溜息ばかりついていたそうです。父親はカウンセラーから「高校生のころご自身のお母さんとどんな話をしていましたか?」と訊かれ、「あのころは話なんかしませんよ。母親の言うことに意味もなく腹が立った。そういえば、何か母親が言ったことにむかついて、かばん振り上げたら母親に当たって、そうしたら普段何も言わない父親が、母さんに手をあげるとは何事かって大声を出しました。そっちにびっくりしましたね。だからと言って、母親と口きいたかというとそうじゃないけど、でも父親の声は耳に残っていますね」と話したらしいです。「そろそろわたしの出番なのかなあ」とも言ったそうです。
次の回は、母親が体調を崩し、父親ひとりで行きました。帰ってきた晩、父親はぼくに、自分の高校時代の話しをいっぱいしてくれました。自分と両親のこと、友達とのこと、将来を悩んでいたことなど。ぼくは黙って聞いているだけだったけど、なんだか父親の姿が今までよりくっきり見えました。
その1週間後、ぼくは父親に、「自分が何をしたいのかわからない。このままでいいとも思っていない。でもどうしていいのかわからない」と打ち明けました。父親は「時間をかけてゆっくり決めたらいい」と言ってくれました。
6回目、再び3人で行きました。父親、母親、ぼくの順で部屋に入り、そのまま着席しました。ぼくは「ちょっと話していい?」と母親に向かい、自分の進む道を探したいと話しました。そして「だから、1年留年する。待って欲しい」と付け加えました。母親はじっと聞き終わると、小さく微笑みました。父親は母親の顔を見ながらうなずいていました。
高校2年生の3月、ぼくの身長は、いつのまにか父親を10cmほど越していました。

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